郷愁

深夜、階段の踊り場に立って、誰もいない街を眺めていた。
青い絨毯敷きつめた階段には、3か所毛の抜けた部分がある。2か所は兄、1か所は私の仕業。次第に、ひとつ、ふたつと、思い出蘇ってくる。
まちがいない。ここは、私の生まれ育った実家。
踊り場の電気は消えていて、外からの明かりのみで薄暗い。そのせいか、ところどころに街灯ともる夜の住宅街が、はるか遠くまで見渡せた。
実家の向かいは、私や兄が出た小学校。〇〇小学校と看板掲げた門の横に、柳の木が1本あり、その枝が、ゆっくりと風になびくのを、ただぼんやりと眺めていた。
すると唐突に、1台のトラックがあらわれた。そしてそれは、猛スピードで、この家の方に向かってくる。
そのトラックは、いわゆる「デコトラ」。車体いちめんに、眩しく発光する色とりどりのネオンサイン纏った。
デコトラは、一瞬視界から消えると、急ハンドルを切ったのか、玄関を破壊して、我が家の中に乗り込むと止まった。
玄関破壊の轟音の後、今度は、押しっぱなしのクラクションが、高らかに鳴り響く。
私は慌てて、残りの階段を、一段飛ばしで駆けのぼった。そして二階廊下を、全速力で走る。
廊下の突き当たりにある部屋の前に立つと、ノックもせずにその部屋のドアをひらいた。ここは父と母の寝室。
でもいつも母は、誰よりも早く起きて、一番最後に寝るから、寝姿の記憶がまるでない。一方の父は、一晩中書斎で仕事して、午前中はずっと寝ているので、父の印象ばかりが、部屋のすみずみにまで広がっている。
はたして父は、寝室にいた。ふとんにくるまり、軽いいびきまでかいて。
「お父さん、どうしよう。派手なトラック突っ込んできて、うちの玄関壊しちゃった。警察呼んだ方がいい?」
私のその声で目覚めた父は、億劫そうに頭を持ち上げると、「そうしたらいいんじゃない?」と、たったひとこと。
それからすぐ、また眠ってしまった。
ふたたび全速力で、階段を駆けおりた私は、完全に破壊された玄関から、寒風吹き込む惨状を見ても、もう驚きすらしない。
デコトラの前面と、居間の壁とのあいだには、ほんの数センチしか隙間がなかった。
これは、想像以上に危機一髪。トラックの前面は、玄関を壊した衝撃で派手につぶれ、運転手の生死は不明。いや、そもそも、運転手がいたのかどうかすら。ともかく、さっきまで、あれだけうるさかったクラクション音は、いまはもう止んでいる。
苦労して、トラックの下を潜って居間の前に出ると、居間のドアを勢いよくひらく。
今日は父と自分しか家にいないはずが、ザワザワと居間が騒がしい。そしてそこでは、まったく知らない人たちが、楽しそうに会話をしながら、食事をし、酒を酌み交わしていた。
どうやらここは、おでんと串焼きを出す店らしい。
こういうガヤガヤと愉しめる、温かい雰囲気の店はいいな。
私もそこに混じって、おでんをつまみながら、おいしい酒でも飲みたくなる。飲めばすぐに、真っ赤になってしまう質だけど、酒を飲む雰囲気自体は好きだから。
でもそれは、かなわないこととわかっていた。
夢は必ず終わり、そこがどんなに心地よくても、いつか目覚めなくてはならない。
目を覚ませば、15年前に実家は取り壊され、いまはもうないことを思い出すだろう。
この家がなくなってから、いろんなことが変わってしまった。残念ながら、居間がおでんと串焼きの店だったこともない。
実家を出てから3度ほど引っ越しをしたが、夢に出てくるのは、いつもこの家ばかり。

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