夢のなかでみる夢(超短編)

12月13日。数日前から、眠っても眠っても眠く、仕方なく少し昼寝をした。明日からは忙しくなるから、今日だけ惰眠眠をむさぼってもいい。そう確信しながら。
だからたぶん、ここからは夢だ。
実家の不必要なほど天井の高い風呂場は寒かった。その風呂場と隣り合う脱衣所に、少し離れて誰かと立っている。必死で目を凝らして見ると、どうやらその誰かは兄らしい。
夕暮れ時、脱衣所は薄暗かったが、電気をつけるほど暗くはない。
私はその頃、気に入っていたフードつきカーディガンを着ていた。
そして傍らにある脱衣カゴに、そいつがいるなぁと思って警戒している。あまりにイヤだったので、うっかりそいつに背中を向けたせいで、背中からそいつに憑かれてしまった。
そいつは、巨大なダニのような虫で、野球ボールほどの大きさ。いや、野球ボールほど立派じゃない。百円入れるとおまけが入ってくる、あの丸いプラスチックケースに質感は近い。
ただ、ぞっとすることに、手足はしっかりついていて肌色。印象としては、ダニというより、ウルトラマンシリーズの初期も初期、ウルトラQにでも出てきそうな円谷事務所製の地球外生物。
そんなダニに背中に取り憑かれ、慌てた私は、「噛まれる前にこれとって!」と兄に背中を向ける。ダニは背中で、ゴソゴソと動いている。兄はふたつ返事で、ダニをとってくれたが、その後それをどうしたかはわからない。ちゃんとゴミ袋に入れて、しっかり縛っただろうか。
正直に言うと、しばらく音信不通の兄に会っていた時点で、これは夢かもしれないとは思っていた。だけど数日前、同じダニに背中を噛まれかけ、その時は父にとってもらったのは、まちがいなく現実のはず。
子供の頃、兄とふたり洗面所で鉢合わせした際は、さみしい気持ちでいっぱいだった。幼い私は、根拠もなく、兄もそうだろうと思っていた。
居間に戻ると、ピアノの楽譜立てに、五線譜が1枚立てかけてある。それは小学校低学年の私が、父を真似して作曲したもの。作曲と言ったって、一段の旋律だけで、その音符より、脇に落書きしたスヌーピーのらくがきの方が目立つ。
実際には、猫の絵か、女の子の漫画だったはずなのに。
サイドボードに置かれたピアノ教則本の束も、ついでに手に持ってパラパラめくる。いろんな子供用教則本の内容が、スクラップブックのように、混ぜこぜにして貼られていた。たとえばそれはバイエルだったり、バルトークのミクロコスモスだったり。
もうダメだなぁ。もともと苦手ではあったけど、初見ではなんの曲かすらわからなくなっちゃった。
せめて自作の曲は、どんな曲だったか覚えておこうと、必死で苦手な楽譜を読んで、ハナウタで歌ってみる。なんとか最後まで辿りついたのに、目が覚めたとたん、曲の全てを忘れてしまった。

夢のなかでみる夢(超短編)

田舎でも都会でもない中途半端な場所に、わたしたちは住んでいた。
わたしたちは、いぬとさるときじで、だからそれ以外のもうひとりが、桃太郎ということになる。
桃太郎は、きびだんごをひとつずつわたしたちに渡すと、カァカァと啼きながら、真っ赤に燃えあがる翼を広げ、漆黒の太陽に向かって飛んでいった。
それからもう、百年は経つのに、いっこうに戻ってこない。
この町では、だれもひとりではない。それぞれ少しだけ重なりあって生きている。だから、誰の目のなかにもかなしみが宿り、犬は静まりかえった青くまん丸な目で、まっすぐ私を見上げた。
そうなるとわたしは、さるかきじか。
いつの間にか、丘の上に夕焼けがひろがり、山並みや木々は切り絵の黒い部分になって、きじが大きく羽根をひろげると、その模様のあいまから、オレンジ色の光が透けて見える。
そんなきじの羽ばたきを、ずっと眺めていたかったので、わたしは残りのさるでよかったのに、どうやら蝉の幼虫にすぎないらしい。地上に出るチャンスを待って、土くれのなかでじっとしているうちに、発酵がはじまってしまった。
もうすぐ藍色の夜がくる。いきものがみんないっせいに目覚め、かしましく騒ぎ立てるほのかに明るい夜が。

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君たちはどう生きるか
2023年 日本(東宝)
英語タイトル:The Boy and the Heron
フォーラム福島にて
原作/監督/脚本:宮崎駿
プロデューサー:鈴木敏夫
制作:スタジオジブリ、星野康二、宮崎吾郎、中島清文
音楽:久石譲
主題歌:米津玄師
124分
ジブリサイト
https://www.ghibli.jp/works/kimitachi/

同名タイトルで、1937年(昭和12年)に刊行された吉野源三郎著『君たちはどう生きるか』は、この映画の原作ではないが、作中で主人公に影響を与える本として、大事な役割を果たしている。

どうしてこの作品が、事前の広報活動を行わず、「ネタバレ禁止」だったのかはわからない。でも、少なくても私自身は、この作品から、「先入観をなるべく持たずにこの作品を観て、自分で考えて判断してほしい」という監督からのメッセージを、受けとった気がした。

この作品は、宮崎監督の集大成とも言える要素がたくさんあり、個性的なキャラクターや独特な世界感、思いがけない方向へ眼を向けざる得ない動きなど、いつも通りにおもしろい。ただ、今までの大作と違って、少人数の精鋭スタッフで、丁寧に創られている。

おそらく一番大切な部分は、完全に抽象化されていて、変に考察されたり、裏読みされることから、逃げ続けているんじゃないか?

…などとなにも情報がないまま、適当に書いておいたら、その後放映されたNHKのドキュメンタリーで、この作品は、高畑勲監督や鈴木敏夫プロデューサーなどとの極めて個人的な関係を描いたと、宮崎監督自体が告白。そうだったかぁ。確かに、パーソナルな匂いを感じはしたけれど、まさかそこまで身近なこととは!

そんな超個人的な要素を盛り込んだ結果、逆に普遍的な要素を持つ映画ができあがってしまう。そういうところが、宮崎監督の非凡でおそろしいところ。

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小説家の映画

2022年韓国
英語タイトル:The novelist’s film
フォーラム福島にて
監督/脚本/製作/撮影/編集/音楽:ホン・サンス
出演:イ・ヘヨン、キム・ミニ、ソ・ヨンファ、パク・ミソ
上映時間:92分
『小説家の映画』公式サイト

ひとりの中年女性が、小さな書店に入ろうとするが、店内ではなにかトラブル発生中。店の奥から、電話で誰かとやりあう声が聞えてくる。

どうやらこの女性は、この店の客ではなく、店主の知り合いらしい。女性は、外で待っているからと、店内の人物に身振り手振りで伝えると、一度店の外に出た。

実際にありそうでなさそうな、こんな情景からはじまるこの映画は、現代なのにモノクロ映像で、登場人物のとりとめないお喋りとともにはじまる。

私たち自身のふだんの会話も、実はこうなのかもしれない。知り合い同士なら、暗黙の了解ばかりで、側で他人がそれを聞いていても、はじめはさっぱり意味がわからない。

でも聞き続けていると、そこから具体的にヒントとなる単語や言葉のニュアンスをだんだんと嗅ぎ分けられるようになり、話の内容を理解できるように。

この映画も、はじめは雲をつかむような感覚でも、やがて店内から出てきた女性店主とこの女性との会話を聞くうちに、事情が少しずつ飲み込めててくる。

女性は、有名作家だというジュニ。店主は、そのジュニの後輩だが、しばらく疎遠だったらしく、ふたりは久しぶりに会った。

この映画において、いくつかの出会いと無数の会話は、身近でやりとりされているかのごとくリアル。主人公ジュニと、相手との心の距離や関係性が、おそろしいほどよく伝わってきた。

その一方で、実際の人間関係同様に、本心からの言葉かどうか、読み取れない場面もあるから、もしかすると、率直で物怖じしないジュニより、観ている私たちの方が、少しハラハラするかもしれない。

やがて、地域で有名な巨大公園施設に、車で連れてこられたジュニは、そこで昔因縁のあった映画監督夫妻と偶然出会う。しばらく社交辞令的に会話をするが、だんだん我慢できなくなってきたジュニは、かつて嫌な想いをさせられたことを蒸し返し、この監督夫妻にぶつける。そしてそれを、監督夫妻は見事にスルー。ウーム、どの国でも同じだ、これぞ「業界」だぁ…(怖いよ~)

悪い空気になったまま、公園を3人で歩いていると、最近仕事をセーブしているという映画女優ギルスを、映画監督が目敏く見つけて声をかける。実はこのギルス、ジュニの小説の熱心な読者で、ジュニと会えたことを無邪気に喜ぶ。

しかし映画監督が、ギルスに不躾に復帰を促したことから、ジュニが激怒。監督夫妻を追い返してから、ギルスとジュニは食事して意気投合。ギルスと陶芸家であるその夫を題材にした映像作品を、一緒に作ることになるという流れ。

才能ある人が仕事を辞めると、まわりはつい、才能がもったいないとか、早く仕事を再開しろとか、余計なことを言いがち。でもそのことを決めるまで、どれだけ本人が悩んだか、なにを一番に大切にしたいと思ったかは、本人以外誰も知る由がない。

だからジュニが、監督に怒った気持ちもよくわかるが、そこまで怒ったのは、ジュニ自身が、筆を折ろうとしていることとつながっている。

こうやってストーリーを書き連ねれば、まるで普通の映画のようだが、この作品は、観客がのぞき見的に「一番知りたいこと」を、すべて迂回してひとつも見せてくれない。おそらく、それを見せないことで、もっと本質の部分を伝えようとしている。

ジュニの初監督映像作品を評して、撮影を手伝ったギルスの甥が言ったこの言葉が、そっくりそのまま、この映画全体の印象と重なる。

「変わった映画だよ。でもある種の感性を持つ人たちは、たまらなく好きなんじゃないかな」

会話のみで進行する展開や、映像が突然カラーになるシーンは、ホン・サンス監督のいつもの手段らしい。でも私にとっては、それらすべてが魅力的で、忘れられない経験となった。

コロナの時代以降、直接人に会わなくても、リモートでいいやと思いはじめていたが、実際に会って話すと、やはり特別な科学反応が起こるのかもしれない。その時に生じるいい雰囲気も、いやな空気も、全部ひっくるめて。

そう思わせてくれるだけ、この映画は、人と人が直接係わる瞬間を、驚くほど緻密に描いた作品。

diary

好奇心で、はてなブログの「空の青」からこちらに引っ越しました。
WordPressへの移行は、それほど大変じゃないないだろうと簡単に考えていたのですが、はてなブログの独自リンクをはずすのと微調整になかなか手こずりました。
最初の記事は27年前。当時の文章をあらためて読み直すのは、感覚や問題意識の方向はそれほどいまと変わらなくても、自分ではない似ている誰かが書いた物を読むようで、なかなか不思議な体験でした。
それにしても、当時は気持ちが少し不安定だったらしく、なにを観ても感想の最後が「なんだか怖くなった」ばかりで思わず笑ってしまった。書き手として未熟だったんでしょうが、そこがかえっておもしろかったので、このまま残しておくことにします。
これからも、よろしくお願いします。

夢のなかでみる夢(超短編)

深夜、階段の踊り場に立って、誰もいない街を眺めていた。
青い絨毯敷きつめた階段には、3か所毛の抜けた部分がある。2か所は兄、1か所は私の仕業。次第に、ひとつ、ふたつと、思い出蘇ってくる。
まちがいない。ここは、私の生まれ育った実家。
踊り場の電気は消えていて、外からの明かりのみで薄暗い。そのせいか、ところどころに街灯ともる夜の住宅街が、はるか遠くまで見渡せた。
実家の向かいは、私や兄が出た小学校。〇〇小学校と看板掲げた門の横に、柳の木が1本あり、その枝が、ゆっくりと風になびくのを、ただぼんやりと眺めていた。
すると唐突に、1台のトラックがあらわれた。そしてそれは、猛スピードで、この家の方に向かってくる。
そのトラックは、いわゆる「デコトラ」。車体いちめんに、眩しく発光する色とりどりのネオンサイン纏った。
デコトラは、一瞬視界から消えると、急ハンドルを切ったのか、玄関を破壊して、我が家の中に乗り込むと止まった。
玄関破壊の轟音の後、今度は、押しっぱなしのクラクションが、高らかに鳴り響く。
私は慌てて、残りの階段を、一段飛ばしで駆けのぼった。そして二階廊下を、全速力で走る。
廊下の突き当たりにある部屋の前に立つと、ノックもせずにその部屋のドアをひらいた。ここは父と母の寝室。
でもいつも母は、誰よりも早く起きて、一番最後に寝るから、寝姿の記憶がまるでない。一方の父は、一晩中書斎で仕事して、午前中はずっと寝ているので、父の印象ばかりが、部屋のすみずみにまで広がっている。
はたして父は、寝室にいた。ふとんにくるまり、軽いいびきまでかいて。
「お父さん、どうしよう。派手なトラック突っ込んできて、うちの玄関壊しちゃった。警察呼んだ方がいい?」
私のその声で目覚めた父は、億劫そうに頭を持ち上げると、「そうしたらいいんじゃない?」と、たったひとこと。
それからすぐ、また眠ってしまった。
ふたたび全速力で、階段を駆けおりた私は、完全に破壊された玄関から、寒風吹き込む惨状を見ても、もう驚きすらしない。
デコトラの前面と、居間の壁とのあいだには、ほんの数センチしか隙間がなかった。
これは、想像以上に危機一髪。トラックの前面は、玄関を壊した衝撃で派手につぶれ、運転手の生死は不明。いや、そもそも、運転手がいたのかどうかすら。ともかく、さっきまで、あれだけうるさかったクラクション音は、いまはもう止んでいる。
苦労して、トラックの下を潜って居間の前に出ると、居間のドアを勢いよくひらく。
今日は父と自分しか家にいないはずが、ザワザワと居間が騒がしい。そしてそこでは、まったく知らない人たちが、楽しそうに会話をしながら、食事をし、酒を酌み交わしていた。
どうやらここは、おでんと串焼きを出す店らしい。
こういうガヤガヤと愉しめる、温かい雰囲気の店はいいな。
私もそこに混じって、おでんをつまみながら、おいしい酒でも飲みたくなる。飲めばすぐに、真っ赤になってしまう質だけど、酒を飲む雰囲気自体は好きだから。
でもそれは、かなわないこととわかっていた。
夢は必ず終わり、そこがどんなに心地よくても、いつか目覚めなくてはならない。
目を覚ませば、15年前に実家は取り壊され、いまはもうないことを思い出すだろう。
この家がなくなってから、いろんなことが変わってしまった。残念ながら、居間がおでんと串焼きの店だったこともない。
実家を出てから3度ほど引っ越しをしたが、夢に出てくるのは、いつもこの家ばかり。

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MONKEY vol.12 翻訳は嫌い?

石川美南、ケヴィン・ブロックマイヤー
柴田元幸 訳
ササキエイコ 絵
(MONKEY vol.12 SUMMER/FALL 2017)

奇想的短編の名手であるケヴィン・ブロックマイヤーが、石川美南の短歌にインスピレーションを受け、少し乾いた独特の文体で紡いだ荒唐無稽な短編小説。MONKEY vol.12 SUMMER/FALL 2017に収録されている。

その石川氏の短歌とは、
『陸と陸しづかに離れそののちは同じ文明を抱かざる話』

なるほど。これは確かに「五七五七七」(字余り?)。この短歌の内容通り、ブロックマイヤー氏は、本当に「陸と陸を離れさせて」しまう。

十四歳のマヤとルーカスは、ある日門限を破って、はじめて恋の喜びらしきものを知るが、それぞれの家に戻った翌朝、ふたりの家のあいだの地面に大きな裂け目ができ、その裂け目は、あっという間に広がって、マヤの家がある地域とルーカスの家がある地域は、ふたつの大陸に別れてしまう。それからしばらくは、ふたりは会えなくなったことを嘆き、文通を続けるが、やがてお互い思い出すことすらなくなる。

ふたりはちょうど成長期で、思春期を経て成人、そして社会人になるなど、一番慌ただしい時期だったから。それからも時の流れは止まることなく、あっという間に年をとる。

マヤは三度結婚をしたがいずれも離婚し、結局ひとりで生きることを選んだ。ルーカスは、結婚の機会にこそ一度も恵まれなかったが、何人もの子供の養育に係わるなど、精一杯社会に貢献しようとした。

希望に満ちてはじまった人生が、十代の頃思い描いたように、うまく進むとは限らない。ふたりはやがて老境に差し掛かり、自分たちにも十四歳の頃、情熱に満ちた日があったことを思い出す。

奇想的短編の名手と呼ばれるブロックマイヤーだけあって、驚きの結末へと導く話の展開はさすが。そして話の筋だけではなく、物語を紡ぐ言葉の表現の方もまた、独特な魅力に満ちている。一行ごとに新鮮な驚きを感じながら、最後まで一気に読み終えた。

スリップストリーム好きとしては、石川氏の短歌とともに、ブロックマイヤーの他の作品も読みたくなった。それなのにブロックマイヤーの本は、日本での出版社が倒産したこともあって、いまでは古本でしか手に入らないのが残念…。

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MONKEY vol.12 翻訳は嫌い?

スイッチパブリッシング

文字の多い文化系雑誌を一冊読み切るには、意外と時間がかかるもの。だからだいたいは、一部分だけ読んで、後は放っておくことになる。

でもまれに、隅から隅まで読めるという雑誌はあって、久々にそんな幸運に恵まれたのが、この「MONKEY vol.12 翻訳は嫌い? 」。SUMMER/FALL 2017とあるから、発売してからももう5年も経ってしまった。とはいえ、あえてタイムラグある読書を楽しみたいなら、紙の本を「積ん読」が一番。現代では、どんな価値のある本でも、すぐ買っておかないと、あっという間に絶版になってしまうから。

編集人の柴田元幸による『日本翻訳史 明治篇』や、翻訳に纏わる村上春樹と柴田氏の対談をはじめとして、森鷗外への愛があふれる伊藤比呂美と柴田氏の対談など、翻訳を主題とした特集はもちろん、ポール・オースターへのインタビューや、イタロ・カルヴィーノの名作『見えない都市』抄なども。

個人的に、特に印象が深かったのは、海外文学の影響色濃い石川美南の短歌一首をテーマに、アメリカの奇想天外短編の名手であるケヴィン・ブロックマイヤー氏が紡ぐあじわい深い作品『大陸漂流』や、同じくアメリカ出身の短編名手であるリディア・デイヴィスによる『ノルウェー語を学ぶ』、独特なことばのセンスを持つミュージシャン小沢健二の『日本語と英語のあいだで』。

その他、いつもならちょっと苦手意識を持っていた書き手でも、今回は楽しく読めてしまった。

そのうち、興味ある作品について、なにか書き残していきたいけれど、いつになることやら。どうせ書くなら、最新号について書けばいいのにね。我ながら、時の流れの感覚がおかしいことに呆れます。

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友だちのうちはどこ?

英語原題:Where is the Friend’s House?
1987年イラン
BSプレミアムにて
監督/脚本:アッバス・キアロスタミ
出演:ババク・アハマッド・プール他

後にイラン映画の巨匠となるアッバス・キアロスタミの名を、一躍世界に知らしめた作品。日本での配給は、ちょうどミニシアターの全盛期の1993年で、あらゆる文化圏の様々な種類の作品が観られる恵まれた時代だった。

この「友だちのうちはどこ?」は、そんな時代の象徴ともいえる傑作のひとつ。

魅惑的なタイトル通り、まだ幼い少年アハマッドが、まちがえて学校から持ってきてしまったノートを友だちに返そうと、奮闘する姿を描く。偶然テレビをつけたらBSプレミアムでやっていて、20年ぶり(?)2度目の鑑賞となった。

明日学校に行けば会えるのに、なぜ必死にノートを返そうとするかというと、その友だちが、宿題を忘れたり、ノートにちゃんと書いてこなかったりすることが続いて、次に宿題を忘れたら退学と先生から言い渡されているため。

優しいアハマッドは、友だちのそんな状況に同情。親の言いつけにそむいてまで、イラン北部の村コケールから、友だちの住む丘ひとつ越えた隣村ボテシュまで、ひとりで出かけていく。村のどこにあるのか、見当すらつかない友だちの家を探すために。

手がかりが少ないうえに、百戦錬磨の大人たちの前では、幼いアハマッドはあまりにも無力。イランの古い封建制度そのもののような祖父をはじめとした「大人の不条理」に、アハマッドが振り回される姿を観ていると、こっちまでハラハラしてしまう。

でも、実際の世の中同様、不親切な大人ばかりではない。訪ねた家のおじいさんが、友だちの家かもしれない場所まで道案内してくれることになる。

窓やドアを作る職人だったおじいさんは、村のあちこちに残る伝統的な飾り窓や青く美しい木製ドアが、無骨な鉄製ドアにどんどん変えられてしまうことを嘆く。息子夫婦が、この村を出て、便利な都会に移ってしまったことも同様に。

アハマッドが、おじいさんのゆっくりすぎる歩みにつきあって歩く道すがら、壁に投影される飾り窓の明かりや風情あるドアのたたずまい、坂が続く村の白く複雑な地形は確かに美しい。でも映画を通して少し覗いただけでも、イランの小さな村に暮らす不自由さの方も、十分に伝わってきた。たとえば、アハマッドのお母さんが、シーツを洗って干す様子なんて、本当に大変そうだもの。

心温まる結末も含め、アハマッドの優しさに貫かれながら、子供らしい行動のせいで生じるいざこざとつきあっているうちに、そこからやがてイランの地方が抱える文化的な問題も透けて見えてくる。こういうところが、キアロスタミ監督の怖ろしさ。

未だにイランは、映画に検閲の入る国。この作品も子供を主人公にすることで、批判的な面をカモフラージュしたのだそうだ。そんな不自由な状況でも、傑作映画が生まれ続けるイランという国の文化的な底力に、圧倒させられもする。

個人的に、それまで遠くて縁がなかったイランという国が、ぐっと身近に感じられるきっかけとなった作品。

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全員巨匠!フィリップス・コレクション展

三菱一号館美術館にて
2018年10月17日~2019年2月11日
三菱一号館美術館

フィリップス・コレクションは、1921年に開館したアメリカ初の近代美術館。その収蔵作品から、選りすぐりの75展を展示した展覧会。

ドラクロワやコローなど19世紀の巨匠から、マネ、ドガ、モネ、セザンヌ、ゴーギャン、ピカソ、ブラックと、近代絵画のオールスターがきら星のごとく並ぶ。確かに展覧会のタイトル通り「全員巨匠!」。数年後に開館したニューヨーク近代美術館(MOMA)とともに、近現代美術館の草分け的存在で、どちらの美術館も一筋縄ではいかない名作を取りそろえている。

青の時代でもキュピズムでもなく、彫刻作品が一番目立ったパブロ・ピカソ。そのピカソも一目置いたジョルジュ・ブラックは、キュピズムと決別した後、晩年の印象的な静物作品がいくつか。個人的には、二本の樹に自転車が立てかけられ、画面右に雨らしき白く短い線が数本踊る「驟雨」(1952年)という作品が好きだった。

ゴッホは、おそらくサン=レミでの療養時代に描かれた「道路工夫」(1889年)が印象的。若い頃は、日本での人気があまりにすごすぎて、正直に言えなかったけれど、やっぱり私はゴッホ好きですね…。

絵はがきか図版で死ぬほど観ているはずが、実物を初見だったのは、ワシリー・カンディンスキーの「連続」(1935年)。後期のパリ時代の作品で、実物は想像以上に大きく感じられた。どうやら絵はがきサイズの方に、慣れてしまったようで。

青騎士時代に、そのカンディンスキーの親友だったフランツ・マルクの動物の絵は、当時の最前衛ながら、人柄が感じられてなんだかあたたかい。そのマルク作のキュートな「森の中の鹿」(1913年)は、作品のレプリカが写真撮影できるスペースにも展示。いまのSNS時代、写真が撮れることは重要なんだろうけれど、そこまでして写真を撮らなくてもと、正直に言えば思ってしまった。

実物をいままで観たことがなかった作品で、特に印象深かったのは、息が詰まりそうなほど濃厚で色彩鮮やかなアドルフ・モンティセリの「花束」(1875年)。セザンヌやゴッホに影響を与えたというのも納得。それから、こちらも大胆極まりない筆致で、嵐のすぐ後の一瞬を見事に捉えたシャイム・スティーンの「嵐の後の下校」(1939年)。故郷・ベラルーシ(当時はロシア帝国)の風景を珍しく描いたとされるこの作品は、幼い頃、嵐の前後に感じた不安でたまらない気持ちに、一瞬にして私を引き戻してしまった。絵画が持つ力は、本当にすごいですよ。