『水の中のナイフ』

水の中のナイフ

(原題)Noz w wodzie
1962年 ポーランド
監督/脚本:ロマン・ポランスキー
脚本:イエジー・スコリモフスキ、ロマン・ポランスキー、ヤクブ・ゴールドベルク
出演:レオン・ニエンチク、ヨランタ・ウメッカ、ジグムント・マラノヴィッチ
音楽:クリシュトフ・コメダ

この映画は、登場人物をたったの三人に絞った密室劇。

とはいえ、水上に浮かぶヨットというのは、本当に閉ざされた空間なのだろうか。空がひらかれている。湖の周囲には、少し泳げば辿りつける岸もある。しかし円形にひらかれた空は、逆に蓋となって、その中に彼らを、閉じこめてしまうのかもしれない。

いまや成功者であるアンジェイは、名誉と金は手にしたが、もう若さを失っている。その欠落を埋めるためか、湖に行く途中に車で拾った青年を、なぜかヨットに乗せる。

その青年は、若さがあっても金はなく、人生がすべてうまくゆかないと感じている。 そんな男たちの屈折とは無縁であるかのように、美しく自由に振る舞う妻クリスチナ。

無意識のうちに観客は、聖域のごときクリスチナを中心として、この奇妙な三角形が、音を立てて崩れるのを期待するだろう。 結局この作品は、その期待に応えてくれるのだが、そこにいたるまでの伏線は、静かに、それでいて魅力的に張られてゆく。

自分は泳げないのだと強調する青年。水上での、ナイフを用いた青年の危険な遊び。知識と富をひけらかすアンジェイと、彼の話をまるで聞かない青年。クリスチナが時折見せる奔放さ。アンジェイの嫉妬。

たった一日のことなのに、湖には、雨が降ったり晴れたりと、天候までもめまぐるしく変化する。まるで三人の心の内を、表わしているように。

この後、たとえ何が起ころうとも、朝が来れば、アンジェイもクリスチナも青年も、何らかの形で、この開かれた密室から出なければならない。それぞれの思いを抱え、ククリシトフ・コメダのジャズと共に、外へ踏み出して行く。

予想されたクライマックスは、一見平穏に幕をおろす。雨もやんだようだ。はじまりと同じように、夫婦を乗せた車は、湖畔を走りぬけてゆく。

『傾く小屋 美術家たちの証言 since 9.11』

傾く小屋 美術家たちの証言 since 9.11

2002年11月12日~12月15日
東京都現代美術館にて

(主催)財団法人東京都歴史文化財団/東京都現代美術館/セゾンアートプログラム

この展覧会は、美術館という箱を失っても中身は保ったセゾンアートプログラムが、東京都立現代美術館という立派な「箱」を使って企画をするという珍しいコラボレーション。

それぞれの作品の傍には、以下の質問に対しての各作者の回答が貼られている。

1. 9.11以降の世界を意識した現代社会における文化(美術)の状況と自身の制作活動について。
2. これからの美術館と作家について

いずれも相当な難問。多くの作者が、特に1に関して、極めてまじめに真っ向から回答しているせいか、少し大仰で堅苦しく感じる。ところが作品自体は、その文章とは違い、見事に9.11を「迂回」している。

最初に目に飛びこんできたのは、斉藤芽生氏の作品。そこからはダイレクトに「心の闇」が感じられた。団地というコンクリートの壁に押しこまれたときの圧迫感、冷たさや寂しさ。年が離れた末っ子だけど一応兄がふたりいた私でも、ひとりっ子が父母のすべてを受け止めるような圧倒的な息苦しさが、この作品を通すとヒリヒリと感じられる。

「花輪シリーズ」にしろ「晒野団地住居案内」にしろ、心の傷のあからさまな表出と、すっかり確立された個性に、現代らしからぬものと現代そのものの両方を感じたりもする。いろいろな意味でギリギリな作品。この「怖さ」に妙な親近感を覚えてしまうのは、闇にポツンと浮かびあがる街灯を、子供のころはまだ目にした世代だからかもしれない。

豊嶋康子氏の作品は、いろいろなジャンルの企業の株(主にミニ株)を定額で購入。しかし利益のための売買は一切行わず、そのまま放っておく。さらにあらゆる都市銀行に、口座を開設したりなど、いろいろなアクションをおこし、その過程をすべて展示するという作品。

1996年から始まったこの作品は、ずっと続いて現在に至る。こういうことを思いつく人はいるのかもしれないが、展示された経済関連書類さえ、殺風景ながら美しさを感じさせてくれて、なんだかうれしくなってしまった。放置された株価がこの期間、ドラマティックな展開を遂げたのは、みなさんご存知の通り。

誰もが儲けようと必死になっている株投資に、芸術として踏みこんでしまうこの姿勢は、徹底して客観的な立場を生み出し、経済専門誌をはじめとするジャーナリズムの分析より、下手をするとはっきりと現状を映し出してしまう。

展覧会の「傾く家」というタイトルが、この作品から想起されたという中村一美氏の展示は、立体作品・絵画作品ともに巨大で、東京都立現代美術館という大きな箱を、フルに活用。

作品自体に加えて印象的だったのは、質問状の回答にあった作者の社会への視点。作品の美しさに対して、言葉の方はかなり強く、そのギャップが激しかったから。

宮本隆司氏の作品は、俗にホームレスと呼ばれる人々が作った「ダンボールハウス」の写真の展示と、作者自身が実際にダンボールハウスを作って、その中に作った小さな穴(ピンホール)から、社会を覗いた作品など。

ホームレスの人々が作るダンボールハウスには、驚くほど工夫がなされている。これだけ高い能力があるなら、あらためて何かができるのではないかと思ってしまうが、実際には一度はずれてしまうとなかなか戻れないことも多いと思うので、かろうじて社会生活にしがみついている私などが、簡単にそんなことを言っていいはずがない。

たくさんのカラフルな石鹸を、ビニールでひとつひとつ包んで展示した作品は、横溝美由紀氏によるもの。本物の石鹸とフェイクの石鹸があるそうだが、まったく区別がつかない。このカラフルさは、子供が喜ぶキャンディーのような趣き。キャンディ包みの持つ儚さはそのままなのに、作品と呼ぶにふさわしい謎の存在感があった。

もうひとつの作品の美しさにも、素直に感激してしまった。日本では採取されない岩塩を、上からいくつも吊るしたもので、床にも岩塩を敷きつめてあり、何もかもが真っ白な作品。作者自身が「初めて自然素材を使った」と書いていた。

この作品の傍にいると、雪が降りはじめたとたんに時が止まり、中空で粉雪が浮かんだ状態でかたまっている中に、立っているような気分になる。ただ美しい錯覚を運ぶだけではなく、心の中にすっと入ってきた。

興味を持った作品には、不思議と自分と同世代の作者が多かった。全然違う環境で育っていても、無意識のうちに、その時代の空気や文化に染まっているものなのかもしれない。

『カンディンスキー展』

カンディンスキー展

東京国立近代美術館にて
2002年3月26日~5月26日

二十世紀前半に、抽象絵画の方向性のひとつを生み出したワシリー・カンディンスキーの展覧会。

カンディンスキーの大規模な展覧会は、日本で初めてというわけではないけれど、今回はカンディンスキーが、抽象絵画へと進んでいく過程にスポットライトを当てている。

今まであまり扱われてこなかった「不遇な」ロシア時代に触れたり、最初期のまだ独自性が出ていない頃の作品の展示もあったり。カンディンスキーの作品をひととおり観たことのある観客の方が、なおいっそう楽しめるかもしれない。

抽象絵画へ進む過程が中心の展示だからとわかってはいても、「パリ時代」の作品が一枚も観られないのはちょっと残念。

とはいえ、画面からいまにも音楽がこぼれおちてきそうな「モスクワ」シリーズや、おなじみ「コンポジション」シリーズの迫力には、やはりワクワクさせられる。

特に「コンポジション」の制作過程を示すスケッチの展示は、一見勢いで描かれたかに見える「コンポジション」シリーズが、カンディンスキーの理念に基づいてしっかり構成された作品だと、はっきりわからせてくれた。

『エスター・カーン』

エスター・カーン

アーサー・シモンズ 著
工藤好美 訳
平凡社

十九世紀末から二十世紀のはじめに生き、ヴェルレーヌやマラルメの翻訳者にして、ジェイムス・ジョイス「ダブリン市民」の出版者でもあるイギリスの作家アーサー・シモンズの短編集『心の冒険』。このなかにおさめられている「エスター・カーン」が、最近デプレシャン監督によって映画化されたこともあり、あらためて八篇のなかから五編が選ばれ、「エスター・カーン」を表題にして新書化された。

読みおわって本を閉じると、誰が言ったのかは忘れたけれども、「その時代の文学とは、新しく創られるものではなく、かつて書かれたものの中から、時代が発見するもの」といったような言葉が、ふいに思い出される。それほどにこの小説は、現代にリアリティをもって迫るものと思えた。

作品のひとつひとつは、いずれも納得がいくように人生を送ろうとする主人公が、試行錯誤を繰りかえす物語。

彼らの多くは、「不幸」と思われる状態に着地するのに、それしか方法はなかったと納得できるから不思議。それほど主人公たちは、自分の「本当に求めているもの」を、確実に見つけて迷わずに行動する。不幸とか幸福とか、そんな抽象的な言葉ではとてもあらわせないほど、彼らの取る行動や考え方は具体的で明確。遠い未来を思い描いたり、過去を振り返るのではなく、その瞬間を、ものすごい密度でただ生きる。

最初の「生の序曲」は、作者の自伝的作品。後半で母について書かれた部分が、彼の作品の主人公の存在につながるように思えた。

「母にとっては過去も、現在も、未来も、それはただ一つの存在のそれぞれの瞬間にすぎず、生が彼女のすべてであり、生は滅すべからずものであった。彼女自身の個人的な生命は、眠っている間でさえ、しばらくも休むことがないほど溌剌としていた」

要領が悪くて頑固な女優エスター・カーンも、最後の瞬間まで自分が求めた作品を描こうと試みた画家ピーター・ウェイデリンも、四十歳で初めて愛した自分の妻を「心の都」へ招待して失敗したダニエル・ロゼラも、「自分を愛するよりも深く神を愛する」ために悪魔のように公然と神を冒涜した漁師シーワード・ラックランドさえも、読み進めている瞬間には、いきいきと目の前に立ちあがってくる。

彼らの生き方は、ことごとくまわりとの調和を欠いている。だから不幸という状態に陥るのだろうけれども、たとえ誰がみても幸福という状態でも、納得がいかないこともあるし、不幸だと同情される状態でも、すべての辻褄があっている場合もある。まわりにいる人たちには、彼らの行動は突飛で理解しがたいだろうけれども、読みすすめている読者からすれば、その行動が止むにやまれるものだとわかる。

本を読み終えた時、前書きのデプレシャン監督による指摘に、深く共感した。このアーサー・シモンズという作者は、自分の考え方にあわせて登場人物たちを生み出すのではなく、登場人物たちの生き方を尊重して、彼らの内面の言葉へ耳を傾けながら小説を書いたのだということ。

それぞれの作品の主人公たちは、まちがいなく、納得した生き方を自らの手でしっかりとつかんだのだ。通常の野心や目的とは、かなり違った危険な「心の冒険」によって。

『明るい部屋―写真についての覚書』

明るい部屋―写真についての覚書

ロラン・バルト 著
花輪光 訳
みすず書房 刊

タイトルの美しさもあって、あまりにも有名なロラン・バルトの写真論。

時を経た分、写真のポジションが、今とは違っているかもしれない。写真を用いての表現が、あまりにも多様になってしまったこの頃だから。しかしそういうささいな部分が、まったく気にならないほど、妙に共感しながら読み進めた。

例えば、写真という映像表現の「新しさ」と同時にある「古めかしさ」について。その後に映画などの映像媒体が出てきたからというのではなくて、確かに写真に撮って紙に焼かれたものは、その瞬間から古めかしくなるように感じるから。

そして第2章に入ると、彼のようなスーパーインテリが、亡くなった母への思い出を、感傷的に語る部分があって驚かされた。でもその感傷は、アルバムをめくって写真を観るとき、感覚がリアルに呼びおこされる状態に、とても良く似ているのではないだろうか。

読み終えて本を閉じたとき、単なる読書にはとどまらない、不思議な体験をしたと感じた。ただ普通に書いたのでは、絶対に辿りつけない写真の本質に、あの手この手で、ぐんぐんと迫っていく。

たとえ報道の写真であっても、本当か嘘かわからなくなってきた昨今、読んで良かったと心から思える本。

『アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない 恥辱のあまり崩れ落ちたのだ』

アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない 恥辱のあまり崩れ落ちたのだ

モフセン・マフマルバフ
武井 みゆき ,渡部 良子  訳
現代企画室

隣国に出かけたとき、街角で普通に歩いてきた婦人が突然に倒れて、自分の腕の中で死んでしまう。そしてその死因は、病気でもケガでもなく「餓死」だった。それも彼女だけが特別なのではなく、その地域一帯の当たり前の出来事。そんな体験を自分がしたらどうだろう? たぶんこの本の著者である監督のように、その問題にずっと囚われ続けてしまうにちがいない。

日本とアフガニスタンは、距離的にとても遠い。だからこの国について、あまり知らないのだと思っていた。しかし知らない理由は、それだけではなく、アフガニスタンという土地自体が、長いこと「世界中から忘れられていた」からなのだそうだ。

この本は、『カンダハール』というアフガニスタンに関わる映画の監督である著者が、ユネスコの《フェディリコ・フェリーニ》メダル受賞記念スピーチにおいて行った講演から、極めて印象的なフレーズをタイトルに用いた本。

読めば読むほど、アフガニスタンはなんて「八方ふさがり」だったのだろうと愕然とさせられる。

このエリアでは、諸外国は石油産出国にしか目が向かない。巨大な石油産出国であるイランから独立してしまったため、アフガニスタンには農耕しか産業がなくなる。ただでさえも難儀な土地に、追い討ちをかけるように世界的な気候の変動。終いには、アヘンくらいしか栽培できるものがなくなる。

その他、今では多く報道もされているように、この国には悪循環ばかりが起った。悲劇がまた悲劇をうみ、その循環からもう抜け出せない。「侵略者にさえ見向きされない」という世界的な無関心が、この土地を絶望的な貧困へと導いた。

そのことを、このタイトルの言葉に監督はあらわしたのであって、仏像を破壊したアルカイダを擁護しているのではない(はず)。

ただ確かに、いささか扇動的なようにも思えるし、この貧困に比べれば仏像の破壊などなんでもないというニュアンスは感じられ、それとこれとは違うだろうと反論したくはなる。しかし作者がどれだけ切迫した想いで映画をとり、このスピーチをしたのかと考えると、それらの言葉も飲みこんで、この本が言いたいことの根っこを、きちんと理解したいと思える。

それではいま、アフガニスタンは、アメリカの空爆によって、その悪循環から救出されつつあるのだろうか? もしそうだとしても、そんな方法にしか頼れなくなるほど、この土地が放置されつづけたことを、忘れるべきではないと思う。

作者のマフマルバフ監督は、冒頭のような体験を、実際にしてしまったイランの映画監督。インタビューでこの問題について涙を流しながら答弁する姿を見たり、実際に私財を投げ打ってこの問題に対応したり、イラン大統領にアフガンからの移民の受け入れを申し入れたり、その真摯な姿には本当に頭が下がる。

ただ、この本の翻訳者のひとりである渡部良子さんも「あとがき」で触れているが、受けてきた教育のためだろうか、監督の善悪の判断基準が、やや欧米偏重のように感じた。

そんなことも含め、ひとりの東洋人として、この本の内容が遠い国の出来事とは、いつの間にか思えなくなった。ただ私にできることと言えば、アフガニスタンへの関心を、これからも持ちつづけることぐらいなのだけれども。

『山本基個展【迷宮】』

山本基個展【迷宮】

場所:時限美術計画 / T.L.A.P-Time Limit Art Program-
東京都渋谷区神宮前4-17-3 アークアクトリウムB1
時間:12:00 ~ 19:00 (最終日16:00迄)
期間:2002年3月29日(金)~4月7日(日)

靴を脱いでガラスの扉をひらき、会場へ足を踏み入れると、あまりにも真っ白で目が眩んだ。

鑑賞者の足元ぎりぎりにまで迫った作品が、まるで波打ち際に立った気分にさせる。会場の向こう端の白い山から続くのは、床一面に「塩」で描かれた精密な迷路。これだけたくさんの塩を一度に見ることは、もうないかもしれない。

実に精巧な要素とダイナミックな要素が、それぞれ極端から極端へと振れているためか、いままで歩いてきた表参道という町の、どことなく「ほどほど」なのにいびつな街並みから、感覚だけがすうっと切り離されたようで心地よい。

はじめに感じたのが、波打ち際の印象だったからだろうか。都会の真ん中に、突然真っ白い海が現れた。そんな気分で画廊を出た。

『BLUE ブルー』

BLUE ブルー

1993年/イギリス・日本
75分
監督: デレク・ジャーマン
イメージ・フォーラムにて

映画と呼ぶにはどこかいびつで美しく、アートと呼ぶには映画であり続けたイギリスの映画監督デレク・ジャーマンの遺作。

1994年に、今はもうないシネ・ヴィヴァン六本木でこの作品を観てから、8年ぶり2度目の鑑賞となる。音が重要な要素の作品だけあって、シネ・ヴィヴァン六本木って素晴らしい音の箱だったんだなぁと、今更ながら気づかされた。イメージフォーラムの音響がどうこうということではなく、重低音が響くシネコンの音響とはまた違うという意味で。

映画がはじまると、スクリーン一面に、ただ「クラインブルー」だけが広がる。そしてそれがそのまま、終わりまでずっとつづく。

だから映像は、ないとも言えるのだけれども、動かないはずの青いスクリーンが、映写の加減で少し動くように感じられた。その青の背後でつづく過酷な内容の朗読と物音、そしてブライアン・イーノも参加した印象的な音楽が交じりあうにつれ、鑑賞者の錯覚もあるのか、瞬間ごとに青の印象も変わるように感じる。

今でもはっきり記憶しているのは、8年前の鑑賞の際には一面の青が美しく、画質もきれいな状態だったこと。現在では画面にかなりの細かい傷がついた。

絶え間なくあらわれる小さく黒い傷が、前よりもずっと目をチカチカとさせる。そしてそのことが、時の流れを強く感じさせた。

この作品の中でジャーマンは、「僕らの仕事は忘れ去られる」と言った。しかし彼がこの世を去ってしまってからも、作品の方は、傷がついたことで時の流れさえはらみ、創り手を失ってもなお進歩をつづける。まだまだ忘れ去られることはない。少なくても私は、これから何度でも、この作品を観たいと思うだろう。

内容の方は、「エイズという病を、社会現象としてではなく、内側から描いた作品」と説明されることが多い。本当にそうか、私には判断できないけれど、当時、まだろくな治療法も発見されてておらず、社会的な差別と戦っている病だったことを考えると、これだけこの映画が「個人的」であることは、やはり特別なことにちがいない。

エイズに限らず、死に至る病を扱った作品に、まわりの人間模様や本人の葛藤、治療の様子というものに頼らずに、こうやって病自体を描いた作品は、そう多くないんじゃないだろうか。

月日は流れて、当時は確実に死へ導かれたエイズも、発症を遅らせたり、治療ができるようになった。

この監督はもともと、自分にも他人にも、特に社会的な「権威」に対して、まったく容赦がない。包み隠さず、残酷なまま、私たちはそれを受取る。

だから言葉と音だけとはいえ、闘病のすさまじさ、マノノリティー側のやや自虐的な受けとめ方、慈善事業特有の偽善的残酷さ、そして絶望を通り越した不思議な明るささえ、ポエティックな部分も含めて、次々に胸へ突き刺さる。

そういう内容でも、ここで朗読される言葉は美しい。それも中身を伴った美しさで、ただセンチメンタルなだけではない。いや、もしかしたら、残酷な最期に向きあっているから、許される美しさなのかもしれない。

月日が流れるごとに、傷を伴う一面の青。今でもときどき耳にすることのある印象的な音楽。ちりばめられた効果音。色の名前に満ちた偽りのないテキスト。

観ているうちに、それらすべてが絡みあい、一気に何かでつらぬかれた気分になる。

私にとってはきっと、いつまでも忘れられない作品のひとつ。

『ある愛の記録(愛と殺意)』

ある愛の記録(愛と殺意)

イタリア
115分
監督: ミケランジェロ・アントニオーニ
出演:マッシモ・ジロッティ,ルチア・ボゼー

アントニオーニ監督の長編デビュー作。日本初公開らしい。それにしても、いったいどこで観たんだろう?(記録しておくのを忘れました…)

冒頭から、モノクロームの画面が、こんなに美しいものかと、思わずひきこまれた。舞台となるミラノでは、冬の陽射しがまぶしいから、こんなにコントラストが鮮やかに出るのだろうか。

恋人同士が障害を越えるため、殺人を計画し、何かの拍子にそれを実行してしまうという話は、一見単純なようで、とても複雑。それだけの情熱を引きおこすものは、実は愛情なのではなく、ふたりの間に吹きはじめた秋風の予感だからなのかもしれない。

主人公の美男・美女ぶりが、ミラノの陽光のまぶしさの下で映える。しかしだからこそ、すべてが妙に危うい。探偵が探りはじめたのは、かつてふたりが、田舎へ置き去りにした誰にも言えない秘密。それをきっかけにして、何かが壊れはじめる。

ふたりの心の揺れうごきが、時には車が疾走するスピードにも乗せられ、 静かにこちらの感情をかき乱す。

結末は、予想できるようでできない。そしてその結末だからこそ、実にむなしい。

密会したり、よからぬ相談をした後、 左右にふたりが別れる瞬間、カメラが大きく後ろへひくと、まぶしい日差しの中に、普通の町の生活が映り、そのとたんこの非日常的なストーリーが、日常に溶けこんだ実にリアルなものに変る。

ところどころがゴツゴツとし、未完成な印象ながら、それだからこそ魅入られる作品。工夫がまだ見えてしまうところに、強い興味を持った。

『疑問符としての芸術 千住博+宮島達男対談集』

疑問符としての芸術ー千住博+宮島達男対談集

千住博宮島達男 著
美術年鑑社 刊

日本画における新時代の旗手と呼ばれ、現在ニューヨークから、日本画や美術全体を見つづけている千住博氏と、カウントダウンLEDを用いたインスタレーションやパフォーマンス、「柿の木坂プロジェクト」など、確実に記憶に残る活動を続ける宮島達男氏との対談集。

対照的な東京芸術大学時代を送りながら、さまざま共通項を持つふたりは、お互いに共感するところを持ちつつ、かといって迎合することなく、それぞれの意見に耳を傾ける。

ふたりとも、失礼ながらちょっと灰汁が強いから、たまに「?」と思うほど、独善的なところもあるのだけれど、むしろ共感する部分の方が多く、話されたすべてのエピソードが、美術についての本という領域を越え、実におもしろかった。

特に興味をひいたのは、第2章『「日本的なもの」とは何か』。

千住氏は、《日本を見るために日本を出る》。逆に宮島氏は、留学試験に落ちて、出たくても出られなかったため、《出なくても、出る方法》はないかと模索する。

“International”を直訳的に考えると、「ルーツとルーツの相互」で、それを見るためには、一度日本人という枠から出て、少し離れた地点から両者を俯瞰しないとその概念は見えないと宮島氏は考えているから。日本から出ずにも、それができるということを、宮島氏は証明したかったのだそうだ。

そして、いまもむかしもある「日本的なもの」への勘違いについて。主に政治的なものへ集約されてしまうような。多くの日本の現状を憂える大人たちが、たとえば『大和魂』の「本来の意味」をまったく知らないのに、自分が曲げて信じている日本を、若い人達に押し付けるため、都合良くその言葉を用いていることも、彼らの豊富な知識を通すことでよくわかった。

とにかくこの第二章で触れられるのは、いろんな角度から観た実にカラフルな日本。昔習ったはずの日本美術史の代表作が、たくさん並ぶのだけれど、こういう多様な解釈の仕方があったのかと驚かされた。