『友だちのうちはどこ?』

友だちのうちはどこ?

英語原題:Where is the Friend’s House?
1987年イラン
BSプレミアムにて
監督/脚本:アッバス・キアロスタミ
出演:ババク・アハマッド・プール他

後にイラン映画の巨匠となるアッバス・キアロスタミの名を、一躍世界に知らしめた作品。日本での配給は、ちょうどミニシアターの全盛期の1993年で、あらゆる文化圏の様々な種類の作品が観られる恵まれた時代だった。

この「友だちのうちはどこ?」は、そんな時代の象徴ともいえる傑作のひとつ。

魅惑的なタイトル通り、まだ幼い少年アハマッドが、まちがえて学校から持ってきてしまったノートを友だちに返そうと、奮闘する姿を描く。偶然テレビをつけたらBSプレミアムでやっていて、20年ぶり(?)2度目の鑑賞となった。

明日学校に行けば会えるのに、なぜ必死にノートを返そうとするかというと、その友だちが、宿題を忘れたり、ノートにちゃんと書いてこなかったりすることが続いて、次に宿題を忘れたら退学と先生から言い渡されているため。

優しいアハマッドは、友だちのそんな状況に同情。親の言いつけにそむいてまで、イラン北部の村コケールから、友だちの住む丘ひとつ越えた隣村ボテシュまで、ひとりで出かけていく。村のどこにあるのか、見当すらつかない友だちの家を探すために。

手がかりが少ないうえに、百戦錬磨の大人たちの前では、幼いアハマッドはあまりにも無力。イランの古い封建制度そのもののような祖父をはじめとした「大人の不条理」に、アハマッドが振り回される姿を観ていると、こっちまでハラハラしてしまう。

でも、実際の世の中同様、不親切な大人ばかりではない。訪ねた家のおじいさんが、友だちの家かもしれない場所まで道案内してくれることになる。

窓やドアを作る職人だったおじいさんは、村のあちこちに残る伝統的な飾り窓や青く美しい木製ドアが、無骨な鉄製ドアにどんどん変えられてしまうことを嘆く。息子夫婦が、この村を出て、便利な都会に移ってしまったことも同様に。

アハマッドが、おじいさんのゆっくりすぎる歩みにつきあって歩く道すがら、壁に投影される飾り窓の明かりや風情あるドアのたたずまい、坂が続く村の白く複雑な地形は確かに美しい。でも映画を通して少し覗いただけでも、イランの小さな村に暮らす不自由さの方も、十分に伝わってきた。たとえば、アハマッドのお母さんが、シーツを洗って干す様子なんて、本当に大変そうだもの。

心温まる結末も含め、アハマッドの優しさに貫かれながら、子供らしい行動のせいで生じるいざこざとつきあっているうちに、そこからやがてイランの地方が抱える文化的な問題も透けて見えてくる。こういうところが、キアロスタミ監督の怖ろしさ。

未だにイランは、映画に検閲の入る国。この作品も子供を主人公にすることで、批判的な面をカモフラージュしたのだそうだ。そんな不自由な状況でも、傑作映画が生まれ続けるイランという国の文化的な底力に、圧倒させられもする。

個人的に、それまで遠くて縁がなかったイランという国が、ぐっと身近に感じられるきっかけとなった作品。

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