ラ・ジュテ
1962年 フランス
クリス・マルケル
(撮影)ジャン・シアボー
(音楽)トレヴァー・ダンカン
(出演)エレーヌ・シャトラン 他
1962年に描かれたモノクロームの未来は、いまだに色褪せていない。静止した画像が、その前後の時の流れを運んでくる。
それを観るのは、不思議な体験だった。
テリー・ギリアムの『12モンキーズ』が、この作品にインスパイアされて創られている(と当時報道されていたが、ギリアム監督自身がそれを否定)。しかし、その作品とこの作品とでは、タイムトラベルの質が、基本的に違っている。
『ラ・ジュテ』のタイムトラベルは、観念の旅。肉体の感覚が希薄で、とぎすまされたイメージだけが残る。それに対して、テリー・ギリアムは、人間の生(なま)の肉体に、タイムトラベルをさせた。そのダメージの大きさは、確かに映画から伝わってきた。しかし、私にとって、よりリアリティーを持って迫ってきたのは、不思議なことに、この『ラ・ジュテ』の方だった。
オルレー空港の送迎デッキで、男がひとり殺される。それを見て悲嘆にくれる女の表情。この映画の主人公は、子供のころに見たそのイメージから、どうしても逃れられない。
それは、残酷な光景のはずだが、主人公の中では、まだ平和だった時代の甘美な記憶のひとつとなっている。
というのも、第三次世界大戦後のパリは、他国に占領されている状態。しかも核汚染された地上には、もはや人間など住めやしない。
占領者は、未来と過去からエネルギーを得て、生き残ろうとしている。何人もの捕虜を、実験で死や狂気に追いやった挙げ句に、過去のイメージを定着できる主人公が、被験者に選ばれた。
捕虜たちは、夢さえも、占領者たちに監視されているのだ。
「記憶のスライド」という表現があるが、この映画では、静止画像が、スライドのようにつながれていて、モノローグにより語られることで、自分自身の未来の記憶を思い出しているような奇妙な錯覚に陥る。それは、核戦争の可能性が、この映画が創られてから30年以上たった現在も、まだなおあるからかもしれない。
※以下ネタバレ注意
主人公が、苦しみながら辿りついた過去は、本物の部屋があり、本物のネコがいる幸福な印象の世界。しかし、過去も未来もない「瞬間」だけの世界では、主人公とひとりの女性の周りにしか「時」がない。思い出とはどこかが違う、あり得ない過去。 絶望的な未来への希望。過去へのノスタルジー。全てを管理され、一歩外に踏み出せば生きられない今。それらを、時間軸を縦方向に上下移動しながら、この作品は描いてゆく。
ひとつひとつの場面に、モノローグの言葉にも、ほとんど無駄がない。主人公の過剰な感傷をのぞいては。 切り株の年輪の外側にある未来。時が止まっても変化のない博物館の剥製。唯一画面が動く、女性がまどろみから目を覚まし、目をひらくシーン。過去と未来が描く不思議な円環…などなど。
撮影したフィルムを、動かない映像に加工して、29分に凝縮されたモノクロームの映像は、美しくて残酷な物語を支えるだけではなく、それ自体が主題なのだと思う。