エンプティ・ガーデン展
ワタリウム美術館にて
1999年11月7日まで開催中
半世紀前に造られたヨーゼフ・ボイスの庭を起点とし、5人のアーティストが、それぞれの「エンプティな場所」探しを提案した『エンプティ・ガーデン(EMPTY GARDEN)展』。
このタイトルの響きを、舌先で転がしながら、言葉の意味はまるで考えず、パンフレットの推薦コースに従って、エレベーターや階段を使って美術館中を走りまわる。最後に、貸し出されたスピーカーを肩にかけ、『建築家会館』中庭の展示場までの散歩。その散歩を終え、美術館へ戻るころには、もう空に夕焼けがひろがっていた。
作品を観に来たというより、ワタリウム美術館や、その美術館がある”神宮前”という土地の雰囲気を楽しんだだけの複雑な気分で、あとに残った曖昧な感情に途方にくれながら、ようやく私はタイトルである”エンプティ”の意味を噛みしめる。
はじめは、屋外階段の踊り場から見えるビル屋上の物干し竿や、自分の心のなかにひろがるノスタルジックな回想の方に心を奪われ、「作品」の影が薄いことに戸惑った。ところがしばらくたつと、それを自然に受け入れるようになった。
これらの作品は、存在をアピールするよりも、鑑賞者の心の中で、エンプティな回想がはじまるための起爆装置の役割を果たしているのだろう。
上野のホームレスのテントや、渋谷の街燈。竜安寺石庭に影響を受けたというケルネ(原子)の庭。多数のピアノ線に突き刺された砂糖が、次第に風化してゆく屋外展示。それらの作品によって、神宮前という街並みの空虚さは際立ち、なにかの記憶は手繰りよせられるのに、それがなにかはよくわからない。
確かにそれは、曖昧でとらえどころのない体験なのだけれど、不快な気分には、なぜかならない。ワタリウム美術館という建造物や、上空から見る神宮前の街並みが、作品よりも”エンプティ”な要素を含んでいることも、素直に受けいれてしまう。
鑑賞者に無視されようがされまいが、一向におかまいなしという風情のロイス・ワインバーガーの植物の作品が、そのためにかえって記憶に残った。
(展示作品)
『贈り物』 『夜明けの鳥と』島袋道浩
『渋谷/ストーリーライト』『上野公園/テント』 オフラ・ニコライ
『ヨーゼフ・ボイスの庭』
『ケルネ(原子)』 『インサイドアウト』カールステン・ニコライ
『ルーフ・ガーデン』 『地図』『ムーブメント』『幼稚園』『トーティズ・クォーティーズ』 『スカイライン』『燃やす、歩く』『カモフラージュ』ロイス・ワインバーガー
『temperament【atomosphere】』 粟野ユミト