穏やかな生活
原題:Смиренная жизнь
1997年
日本・ロシア合作
カラー/ビデオ/76分
アレクサンドル・ソクーロフ
出演:松吉うめの 尺八演奏:古川利風
BOX東中野にて
奈良県明日香村に暮らすひとりの老いた女性。彼女が生活を送るテンポそのままに、ゆっくりとした時の流れで捉えられた異色のドキュメンタリー。
電気や暖房設備があったとしても、まったく無意味な築百年以上の日本家屋に、この女性は住んでいる。
その家屋をソクーロフが撮ると、高い屋根の梁をわたる風や、女性のまわりで微妙に動く空気の気配まで感じられる。
そしてもうひとつ、クローズアップとは怖いものだなと思った。何度も極端なクローズアップをすることで、この女性の佇まいの美しさ、おそらく本人も気づいていない鏡台の前に座ったときの色っぽさ、はいているモンペのようなズボンのきれいな柄などが、それだけでこの女性の素性を明らかにしてしまう。
つましい生活を送っているけれども、やはりこの女性は、旧家の女主人だった。紋の入った留袖を縫うことで、彼女は生計をたてている。その着物を縫う姿を、ずっと眺めていたくなる。
ところで、着物を縫うときに使う「こて」を、炭の灰の中に入れて温めたりしたら、灰が付いて着物が汚れると不安になった人、私の他にいませんか? 和裁ではないけれど洋服の方の専門家である叔母によると、あの灰は軽いので、全部すぐに飛んでしまうそう。灰になじみにない世代なんだな、私って……。
閑話休題。数日間滞在した旅人(ソクーロフ?)が、明日去るという日の夜、女性は留袖に身をつつみ、少し痛んだ屏風の前で、旅人を送るために唄を詠む。
お辞儀がまるで浮かない映画というのは、本当に久しぶり。こういう身のこなし方というのは、付け焼刃ではどうにもならないものなのだろう。
まわりにほとんど家のない山の上で、いままでの時代の澱をすべてかぶって送る生活は、当事者にとっては快適なのかもしれない。ただその反面、とてつもなく不便で厳しいもの。厳しさをわきまえず、その生活に戻ろうなどと、言うべきではない。
ソクーロフの映像が素晴らしかったのは、その生活のありのままをとらえ、礼賛も批判もないところ。ただ事実だけが、静かに伝わってくる。そして事実の合間からふいにこぼれる感情に、思わず涙さえこぼれた。
しかし一番ぞっとしたのは、この映画で描かれた生活を、自分が残らず全部知っているということ。地方出身だからなのかもしれないが、たぶん私の子供のころまでには、身近にあった生活なのかもしれない。
10年ひと昔と言うけれど。時の流れのあまりの早さと、失っていくものの多さに、背筋が寒くなった。