『私の個人主義』

私の個人主義

夏目漱石 著
(当時持っていたのは)ちくま文庫版、リンク先は講談社文庫版

夏目漱石が四十七歳のとき、学習院大学で行った講演をまとめたもの。

漱石の小説は読んでいても、考え方自体を読んだことは、今まであまりなかった。そのためか、この時代ですでに、これだけのことを考えていたのかと驚いた。

しかしなにより、「個人主義」という言葉に対する考え方が、自分の思い描いていたものにとても近かったので、なんだかうれしい。

漱石は学習院を出て、これから「特権階級」につくことになる生徒たちに、自分の失敗談もあげながら、必死でメッセージを伝えようとする。

自分が自由でありたいならば、相手の自由も認めなければならないということ。権力と金を持っていることによって生じる勘違いについて。

ユニークだなと思ったのは、平和な世界に生きていながら、国家のことばかりを考え、明日にでも戦争が起こることを憂えるのは、火事が終わってからも火事頭巾をかぶっているようなものという例をひいたあたり。

漱石は、「平和な時代には、もっと他に考えることがあるのではないか」と、熱弁をふるう。 確かに、きちんとものを考えられる力を養っておけば、国家の非常時には、そのことについて、真剣に考えられるはず。しかし今回のテロ事件後の反応を見ると、せっかくそういう考えられる力を養ったとしても、現実には怒りによって簡単に潰されてしまうだろうと想像できる。

でも考えられるときに、考えておくことは必要なんだろう。あって欲しくはないけれども、ふたたび非常時が来てしまったら、考えられなくなってしまうような複雑で繊細な事柄について。

『私の個人主義』は、立派な考え方というのとも少し違う。この講演を行ったときの漱石の年齢を考えれば、むしろずいぶんと「青い」とも言えるかもしれない。しかし語られたことは、単なる理想主義とは違うように思える。

それにしても、この人のモラトリアム時代の長いこと…。しかしむしろ、妥協せずに自分がすべきことを、考え抜いたという点に感心してしまった。

こんな大文豪に、共感したなどと言っては失礼なのだけれども、思わぬ共通点を見つけ、うれしくなったことは事実。

そして、平和な(?)大正時代が終わり、その精神を受け継いだ人たちが、どんな思いでふたつの世界大戦に巻きこまれていったか。それを考えると、胸がひどく痛む。

明治から大正という時代を、もう少しよく知りたくなった。

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