『疑問符としての芸術 千住博+宮島達男対談集』

疑問符としての芸術ー千住博+宮島達男対談集

千住博宮島達男 著
美術年鑑社 刊

日本画における新時代の旗手と呼ばれ、現在ニューヨークから、日本画や美術全体を見つづけている千住博氏と、カウントダウンLEDを用いたインスタレーションやパフォーマンス、「柿の木坂プロジェクト」など、確実に記憶に残る活動を続ける宮島達男氏との対談集。

対照的な東京芸術大学時代を送りながら、さまざま共通項を持つふたりは、お互いに共感するところを持ちつつ、かといって迎合することなく、それぞれの意見に耳を傾ける。

ふたりとも、失礼ながらちょっと灰汁が強いから、たまに「?」と思うほど、独善的なところもあるのだけれど、むしろ共感する部分の方が多く、話されたすべてのエピソードが、美術についての本という領域を越え、実におもしろかった。

特に興味をひいたのは、第2章『「日本的なもの」とは何か』。

千住氏は、《日本を見るために日本を出る》。逆に宮島氏は、留学試験に落ちて、出たくても出られなかったため、《出なくても、出る方法》はないかと模索する。

“International”を直訳的に考えると、「ルーツとルーツの相互」で、それを見るためには、一度日本人という枠から出て、少し離れた地点から両者を俯瞰しないとその概念は見えないと宮島氏は考えているから。日本から出ずにも、それができるということを、宮島氏は証明したかったのだそうだ。

そして、いまもむかしもある「日本的なもの」への勘違いについて。主に政治的なものへ集約されてしまうような。多くの日本の現状を憂える大人たちが、たとえば『大和魂』の「本来の意味」をまったく知らないのに、自分が曲げて信じている日本を、若い人達に押し付けるため、都合良くその言葉を用いていることも、彼らの豊富な知識を通すことでよくわかった。

とにかくこの第二章で触れられるのは、いろんな角度から観た実にカラフルな日本。昔習ったはずの日本美術史の代表作が、たくさん並ぶのだけれど、こういう多様な解釈の仕方があったのかと驚かされた。

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