アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない 恥辱のあまり崩れ落ちたのだ
モフセン・マフマルバフ 著
武井 みゆき ,渡部 良子 訳
現代企画室
隣国に出かけたとき、街角で普通に歩いてきた婦人が突然に倒れて、自分の腕の中で死んでしまう。そしてその死因は、病気でもケガでもなく「餓死」だった。それも彼女だけが特別なのではなく、その地域一帯の当たり前の出来事。そんな体験を自分がしたらどうだろう? たぶんこの本の著者である監督のように、その問題にずっと囚われ続けてしまうにちがいない。
日本とアフガニスタンは、距離的にとても遠い。だからこの国について、あまり知らないのだと思っていた。しかし知らない理由は、それだけではなく、アフガニスタンという土地自体が、長いこと「世界中から忘れられていた」からなのだそうだ。
この本は、『カンダハール』というアフガニスタンに関わる映画の監督である著者が、ユネスコの《フェディリコ・フェリーニ》メダル受賞記念スピーチにおいて行った講演から、極めて印象的なフレーズをタイトルに用いた本。
読めば読むほど、アフガニスタンはなんて「八方ふさがり」だったのだろうと愕然とさせられる。
このエリアでは、諸外国は石油産出国にしか目が向かない。巨大な石油産出国であるイランから独立してしまったため、アフガニスタンには農耕しか産業がなくなる。ただでさえも難儀な土地に、追い討ちをかけるように世界的な気候の変動。終いには、アヘンくらいしか栽培できるものがなくなる。
その他、今では多く報道もされているように、この国には悪循環ばかりが起った。悲劇がまた悲劇をうみ、その循環からもう抜け出せない。「侵略者にさえ見向きされない」という世界的な無関心が、この土地を絶望的な貧困へと導いた。
そのことを、このタイトルの言葉に監督はあらわしたのであって、仏像を破壊したアルカイダを擁護しているのではない(はず)。
ただ確かに、いささか扇動的なようにも思えるし、この貧困に比べれば仏像の破壊などなんでもないというニュアンスは感じられ、それとこれとは違うだろうと反論したくはなる。しかし作者がどれだけ切迫した想いで映画をとり、このスピーチをしたのかと考えると、それらの言葉も飲みこんで、この本が言いたいことの根っこを、きちんと理解したいと思える。
それではいま、アフガニスタンは、アメリカの空爆によって、その悪循環から救出されつつあるのだろうか? もしそうだとしても、そんな方法にしか頼れなくなるほど、この土地が放置されつづけたことを、忘れるべきではないと思う。
作者のマフマルバフ監督は、冒頭のような体験を、実際にしてしまったイランの映画監督。インタビューでこの問題について涙を流しながら答弁する姿を見たり、実際に私財を投げ打ってこの問題に対応したり、イラン大統領にアフガンからの移民の受け入れを申し入れたり、その真摯な姿には本当に頭が下がる。
ただ、この本の翻訳者のひとりである渡部良子さんも「あとがき」で触れているが、受けてきた教育のためだろうか、監督の善悪の判断基準が、やや欧米偏重のように感じた。
そんなことも含め、ひとりの東洋人として、この本の内容が遠い国の出来事とは、いつの間にか思えなくなった。ただ私にできることと言えば、アフガニスタンへの関心を、これからも持ちつづけることぐらいなのだけれども。