エイヤ=リーサ・アハティラ 展/ 「ヴィデオアート」と「映画」の境界
2003年3月21日(金)~6月8日(日)まで
東京オペラシティーアートギャラリーにて
フィンランドのヴィデオアーティストであるエイヤ=リーサ・アハティラの展覧会。今回の展示は、複数のスクリーンを用いたヴィデオインスタレーションが中心。ひとりの女性を主人公に配して、彼女の精神崩壊の危機を描く。
たとえば3面に渡った画面で、それぞれ少し時間をずらしながら進む映像からは、張りつめた精神状態の女性の心境が、痛いほど伝わってくる。理想と現実。そのギャップの前に、もろく崩れ去ってしまった女性たちは、いささか極端な形で映像の中で主役を演じる。
そこまで極端ではないにしろ、まわりから見たらさぞ滑稽だろうという心理状態に陥ったことは、私だって多少はあるわけなので、なんだか身につまされる思いで、この十分ほどの物語を眺めてしまった。
自己愛の極地……。確かにそうなのだろうけれども、それを全く他人事と思えるほど、私自身も強くない。
例えば最初の映像に出てくる白人女性は、叫んでまわりに不快感を与える近親者がいるため、精神的に極限に達しても叫ぶことができず、その代わりに自分の手を噛む。怒ってベットを壊すにしても、きちんとマットレスをはずして準備する。彼女は自分の行動が、滑稽だとたぶんわかっている。そんな鬱屈した行動のため、見ている側は、気持ちよくカタルシスも感じることができず、なんだか宙ぶらりんな心境に。
「精神科医になるつもりだったのに、自分が精神科に通うことになるなんて思わなかった」というモノローグなど、気の毒と思っていいのか、笑うところなのか……。
完全に狂えるわけではなく、理性に片足をつっこんだまま。ああ、自分はおかしくなっているなぁと、外側から自分を見つめているもうひとりの自分がいる。それが伝わってくる映像は、精神的な危機状態を、極めてリアルに示唆しているのではないだろうか。
それでいて、色とりどりのミニカーが配された壁や、自然のなかを「中途半端に」飛ぶシーンなど、魅入られてしまうシーンも多かった。
ただ、この作品にうっかり感情移入してしまうと、「私ってこれから社会でやっていけるのか」などと感じて、ドーンと落ちこんでしまったりするのでちょっと注意。