革命前夜
原題:Prima Della Rivoluzione
1964年/イタリア
監督:ルナルド・ベルトルッチ
脚本:ルナルド・ベルトルッチ
撮影:ルド・スカバルダ
音楽:エンニオ・モリコーネ / ジーノ・パオリ
出演 :ドリアーナ・アスティ / フランチェスコ・バリッリ / アレン・ミジェット
今の日本では、ほとんどの人が衣食住を手に入れることができ、時には趣味さえ楽しむことができる。だからあくせく働かなくてはならないという点を除けば、この映画を少しはわかるのではないだろうか。しかし本物のブルジョワジーからはほど遠いので、滅びゆくとき特有の皮肉なこの美しさを、放つことはできないだろうけれども。
ブルジョワジー階級ながらも、若者らしく不平等な世の中に反発を覚え、共産主義に傾倒する青年が主人公。
そのまわりにいるのは、たまの家出や酒を飲むことでしか、周囲へ反発できない友人。彼の弱々しさは儚げで美しく、しかしついには自己嫌悪から自滅してゆく。
共産党や労働組合が、結局は単にブルジョワジーの真似をしたいだけだと気づいても、子供たちの教育へ信念をかける博学な教師。
甥である主人公の青年と束の間の愛情を交わしながら、つねに精神不安定で、自信のなさが逆に自信ともなっている美しい叔母。
その叔母の友人で、父親の死によって、もうすぐ土地や屋敷を、他人の手へ渡さなければならないブルジョワの没落そのもののような初老の男性。働くという概念さえ持たず、その年齢になってしまった男性のこの後には、死しか想像できない。
しかしその男性に主人公は反発しながらも、男性がむかってくる船へ叫んだ詩が、自分の将来をも暗示していることに気づいてしまう。
「自分は革命前夜にしか生きられない」
そう悟ると、主人公の青年は、滅びゆくブルジョワジーへ自ら帰ってゆくのだが、その言葉をかみしめるたび、ブルジョワジーではない自分にも、不思議とその言葉がはね返ってくる。変革を望んでも、しょせん生き馬の目を抜くような状況には、対応できないとわかっている自分。もしくは、そう思いこんでしまっている自分。
そのなかで実際に過ごす人たちは、どんなに大変かということがわかってはいても、やはり革命前夜は圧倒的に美しい。滅びるとわかっているのに、それだからこそ美しく輝く。絶望の先にも、奇妙なあきらめがあり、そこから病的な光が放たれる。
そんな滅びの美しさを、モノクロ―ムの映像へ漂わすことができるのは、やはりベルトリッチならでは。心へすっと忍びこむ感傷的な、それでいて的確なセリフ。それらが語られるとき、最新の注意を払って補われる音楽。時には沈黙さえ、見事な音楽となっている。
静かでシンプルなのに、怖いほどに非凡。映画という媒体の底知れぬ魅力を、あらためて思い知らされた作品だった。