『ヴァージニア』

ヴァージニア

2011年/アメリカ/89分
監督・脚本・製作:フランシス・フォード・コッポラ
出演:ヴァル・キルマー、エル・ファリング
アップリンクにて

トム・ウェイツのナレーションではじまるこの映画の舞台は、塔の八面についた時計が全部違う時刻を刻むいわく因縁のある田舎町。

本屋もないその町に、自分の本を売りに来たのは、アル中の三流オカルト作家のホール・ボルティア。娘を事故で亡くして以来、思うように作品が書けずに生活も困窮。旅先に来てまで、妻から出版社に前借りをするよう強要されている。

町では、数日前に殺人事件が起きていた。身元不明の少女が胸に杭を打たれて殺されるという事件。まるでヴァンパイアを封印する儀式のように。その殺人事件を元に、一緒に小説を書かないかと、ボルティアに持ちかけてきたのが、小説家になる野心を持つ得体の知れない保安官。

その晩、夢に導かれるようにV.(ヴィー)と名乗る少女に出会ったボルティアは、チカリングホテルという場所で、かつて牧師が子どもたちを斬殺する事件があったことを知る。そして幻のように現れた敬愛するエドガー・アラン・ポーに導かれ、ふたつの事件を元に人生をかけた傑作を書こうと思い立つのだが……。

やがて話は、夢か現実か、さらには小説の中の話か、よくわからなくなりつつも、ポーの道案内でなんとか前に進んでいく。徹底した美意識に彩られた映像やディテールの積みかさねが、とにかく美しい。困ったな…大好きです。

ゴシック・ミステリーと銘打たれているのも納得だけれども、この作品の本質は、ボルティアの心の中の罪悪感にある。作品はやがて、今のような三流オカルトではなく、もっと良い作品を書きたいと思い始めたボルティアの作品創作の手順と重なってくる。ポーは殺人の顛末を教える謎解きの名手としてだけではなく、哀切と恐怖に彩られたミステリーや詩作の文学史上に輝く星として、作家・ボルティアの作品も導き出す。ここからがおもしろかった。

妻を失くして以来、その妻の面影を、名前を変えて繰り返し作品に登場させたというポー。だからこそ、愛する者を失ったときの心の傷にも敏感なのかもしれない。事件の謎解きが進むにつれ、作品を完成させるために踏み込むべきは、娘を亡くした事件のことだと、ポーはボルティアに説く。

謎の少女ヴィーや、川向うにたむろする不良集団のリーダーでボードレールを暗唱している青年のキャラクターや化粧、ファッションから見える巨匠コッポラの美意識の高さは沸点レベル。ただ、個人的に一番笑ったのは、ボルティアが作品のストーリーを書き出すときに、「霧の湖」から逃れられなくなり、何を書いても霧の湖の話になってどんどん酒量が増えるシーン。この作品と、小説を書くという行為は、切り離して考えられない。

ミステリーの形態なのに、わずかなユーモア以外は、逃れられない悲しみへの哀切に満ちている。それは、ミステリー小説の祖であると同時に、「死と憂鬱の美学」に彩られた完璧な詩を無数に作ったポーへのオマージュ。

ポー自身も、この映画の美意識は、きっと好きなんじゃないかなと想像した。