『孤独な場所で』

孤独な場所で

原題:In a Lonely Place
1950年 アメリカ
93分
監督: ニコラス・レイ
製作: ロバート・ロード
脚本: アンドリュー・ソルト
主演: ハンフリー・ボガート、グロリア・グレアム
※1993年にいまはもうないミニシアターのシネ・ヴィヴァン・六本木で、この映画を観た際の記録です。

映画が上演し終わり、シネ・ヴィヴァン・六本木の外に出たところで、男の子ふたりがいま観た映画について、感想を言いあっているのが耳に入った。

「なんかさ、映画の高揚感がないよね」

その言葉が印象に残ったのは、そのうちのひとりが、そう言ったからかもしれない。確かにそうかもしれないが、そのことは、この映画の欠点には決してなっていない。

映画のストーリーを、簡単に説明すれば次のようになる。

ひとりの脚本家に、殺人の疑いがかかる。しかしある女性が彼のアリバイを証言したために、その疑いは晴らすことができた。さらにそのことがきっかけで、女性と若くて才能があるその脚本家とは、つきあうことになる。

ところが次第にこの脚本家が、突発的で暴力的な衝動を持っていることがわかりはじめ、愛していたはずの彼を、女性は次第に信じられなくなってゆく。

スクリーンの前に座る観客を、ハラハラさせるには申し分のない設定のはず。それなのにこの映画は、その手の興奮をまるで味あわせてくれない。それはおそらく、実質的な主人公が、女性の方ではなく、実は殺人犯かもしれない脚本家の方だから。

自分の挫折を認めることができず、常にどこか張りつめていて感情を表にあらわさない脚本家は、強いストレスがかかると、相手を殺しかねないほどの暴力を、突発的にふるってしまう。いま風に言えば、すごい勢いで「キレル」。

女性はそんな脚本家の弱さも、丸ごと認めようと努力するのに、自分も殺されかねないような状況に一度陥ったとき、さすがに我慢の限度を超えてしまう。

社会では天才であるかのように扱われる脚本家のさみしさ、そして自分の行動への計り知れない嫌悪感は、ラストシーンの後ろ姿に漂う悲しみにすべてこめられている。

たとえ自分の理想とさえ思える女性から、いくら愛情を受けることができたとしても、脚本家を取り巻くユニークで魅力的な人々が、彼のことを本当に心配していろいろと心を砕いてくれても、その孤独はどうしても埋められないのかもしれない。

一見サスペンスのような設定でありながら、愛情を与えよう、受け入れようと、努力をしつづけても、どうしてもそれをできないひとりの人間を描くこの作品は、期待された興奮を受け取れなかったことで、多くを観客を失望させ、それと同時に予想外の感動を与える。

こんなに魅力的な友人が、まわりから手を差し伸べてくれているというのに、それにこたえられないことは、本当につらいだろうと思う。心に潜む狂気は、それでも顔を出してしまう。

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