『横浜トリエンナーレ2001 メガ・ウェイブー新たな総合へ向けてー』

横浜トリエンナーレ2001 メガ・ウェイブー新たな総合へ向けてー

会場:パシフィコ横浜展示ホール 赤レンガ1号倉庫 他
2001年9月2日~11月11日

初の「ひとり旅」は、「横浜一泊 トリエンナーレ鑑賞」にしたかったのだけれども、いろいろな理由で挫折。涙…。

というわけで、半日で大雑把にまわることに。そのため観られなかった作品も多かった。

大雑把な見方ながら、印象に残った作品を少々。

オーストラリアのステラークは、『エグゾスケルトン』というマシーンを作りあげ、それに自ら乗りこんでガッチャンガッチャン。その情景を室内では映像で流し、部屋の外へはマシーンを展示した。ご本人の実にまじめな表情と、蟹のような激しく魅力的な「横動き」。あまりに強い個性に、すっかり目が釘づけに。

機械と人間とが合体し、他の生まれてはいけないものが、生まれてしまったようにさえ感じられる。

南アフリカのウィリアム・ケントリッジの作品は、アニメーション作品。木炭やパステルを用いたモノクロームの画面が、躊躇なく主題を(?)描き出す。アニメーションと言っても、描かれた絵が動き出したという印象。独特で無駄のないこの作品の前で、随分長い時間を過ごした。

オノ・ヨーコの作品が、赤レンガ倉庫の外に、ポツリと置かれていた。黒っぽい列車のコンテナ。そこから流れる奇妙な音楽に、導かれるよう側まで近づく。ううむ。これは遠くからでも、大変な妖気を感じるぞ。

目の前まで行くとコンテナには、弾痕のような跡がいくつもあいているのがわかる。後からこのコンテナが、ナチス政権下のドイツで、ポーランド人輸送に用いられた実物だと知った。

この作品には、今回のトリエンナーレに並べられた他の作品のような「迷い」が、みじんも見られない。そのためにひきつける力がとても強い。ただ、その迷いのなさは、私の世代とは全く異質なものだと感じる。

ドイツのマリール・ノイデッカーの作品は、映像と模型のようなもの両方で、白い山脈に映える日差しの動きをあらわす。長い時間の流れに、寄り添うような気持ちで鑑賞をした。

そして個人的に一番おもしろかったのは、スウェーデンのカール・ドゥネア+ペーダー・フレイの作品。作品の中へ足を踏み入れると、壁にいくつもの白い箱が取りつけられ、そこになんとも単純な造形の人形のようなものがいくつか置かれている。

印象深いけれども、ただ、それだけか…。そう思って立ち去ろうとしたら、人形のひとつが、見過ごしてしまうほどゆっくりと動いたのでもうびっくり。

鑑賞者がそこにいる間に、必ず人形が動き出すとは限らない。また、同じ動きを繰り返すことは、5年間もないという。

そのせいか、作品を離れてからも、鑑賞者にはその作品の持つ時間が残り、作品の中にも鑑賞者の余韻が残る。

いったい何を言っているんだ? ただひとつ確かなことは、今まで出会ったことのない類の体験を、作品から仕掛けられた気持ちになったということ。

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