ヒトラーの長き影
そのタイトルの通り、「ヒトラーの長き影」、すなわち第二次世界大戦後のドイツの「闇の部分」について書かれた本。抽象論を振りまわすのではなく、幅広い領域を具体的に検証しているので、「かつてドイツにもこんなことがあったなぁ」と他人事のように振りかえる道は閉ざされてしまい、現在の自分たちへひとつひとつの問題がダイレクトに跳ねかえってくる。
そしてこの本は、ドイツの問題というよりは、先の大戦にかかかわった国すべての問題へ触れる。特にヨーロッパ大国が、今も繰りかえしている政治的なパワーゲーム。大戦が終ったあと、叩き潰す相手が、ナチスドイツではなくソビエト連邦共和国だと気づいたアメリカやヨーロッパの多くの国は、ドイツの戦争責任を追求してナチスへの協力者をあげるよりも、ドイツを反ソ連同盟の防波堤とするために、経済復興や再軍備の方へ手を貸す。戦時中も同じ文脈で、ユダヤ人の救済を行わなかった。
そうやって、日本と同じく、戦争に負けることでタナボタ的に民主主義を受容した戦後ドイツは、抵抗の歴史を持たないゆえに、つねに右傾化の危うさと隣あわせだ。
その場でうまく立ちまわれる人が、もっと広い範囲において、つねに正しいとは限らない。ドイツはその哲学の歴史のため(?)、誤った義務遂行と官僚主義的絶対服従という体制を生む。そして結果的に、アイヒマンのような「恐ろしく正常な大犯罪者」を生んだ。
ドイツと日本には、類似点も多いが、むしろ反対のような気質もある。しかし読めば読むほど、類似点が目立ってきて、頭が痛くなってくる。
戦争をはじめるには、それぞれの理由はあるのだろう。でも、どんなに自分たちが正義だと信じたとしても、他国に攻め入るということは、罪のない人々の命を大量に奪う愚行であることは、決して忘れてはならない。そして多くの戦争が、正義などからではなく、単に自分の国への利益を追求するためにはじまっていることを思い知らされる。
この本を読んでいるあいだじゅう、今おこなわれているアメリカとテロの戦争や、それに協力しようとこぞって手をあげる多くの先進国の姿が、本の裏側に何度もあらわれては消えた。
政治・経済・司法から文学・芸術まで、実に幅広いジャンルにわたって、具体的な話が進められるのだが、最後の連邦首相たちにどのようにヒトラーの長い影が残っているか検証するページでは、その厳しさが、あいまいな私自身にも突き刺さるようで、実に痛い読書となった。