『エスター・カーン めざめの時』

エスター・カーン めざめの時

原題:Esther Kahn
2000年/フランス・イギリス
監督:アルノー・デプレシャン
脚本:アルノー・デプレシャン / エマニュエル・ブールデュー
原案:アーサー・シモンズ
出演 サマー・フェニックス / イアン・ホルム / ファブリス・デプレシャン / フランシス・バーバー / ラズロ・サボ / ヒラリー・セスタ

「二十歳の死」「魂を救え!」などの作品で、圧倒的なリアルを感じさせてくれたアルノー・デプレシャン監督の最新作。

19世紀末のロンドン、仕立て屋のユダヤ人一家の様子からはじまるこの映画は、暗いけれども魅力的な映像で、短いシーンが円形に閉じてゆく。ちょっとした秘密を覗くような感覚。その簡潔でも要所に曲者の匂いがする展開に、全く目が離せなくなった。そして最後まで観て、あまりのことにしばし呆然…。

家族とさえうまくコミュニケーションを取れないエスター・カーンは、寡黙で気難しく、「芝居」に出会うまでは、すべての傍観者にすぎなかった。それが芝居に出会うことで、内面に秘めた情熱に従うように、トップ女優への階段を昇る。……と要約できそうなものだけど(「ガラスの仮面」?)、そうは問屋が卸さない。確かにめざめるのだが、このめざめ方は、凡人が手を出してはいけない類のもので。

ひとりの才能ある女優が誕生する過程は、今まで観たどんなサクセスストーリよりはるかにリアル。実際の演技シーンになると音声が全部消されてしまい、観客は想像することしかできなくなるから、逆にリアルに感じるのかもしれない。

そもそもエスターは、一般に考えられているサクセスを求めてはいない。多分考えてもみないだろう。結果的にそうなり、彼女を邪険に扱っていた母が、いきなり彼女をまわりに自慢しはじめたとしても。

この映画の原作であるアーサー・シモンズの本に、デプレシャンは前書きを書いていて、そのなかで「アーサー・シモンズに感激したところは、多くの作家が作品のなかの登場人物に自分を投影するのに対し、この作家は作品の登場人物の考え方に、ただひたすら耳を傾けることだ」とあった。デプレシャンも今回、それに成功している(と思う)。

エスターのキャラクターは、ある意味とても痛快。彼女には、現実を否定したとしても、幻想に逃げるだけの経済的な余裕はなく、他に守ってくれる人物を得るほど、魅力的とはいえずに極めて頑なだ。 しかしだからこそ、彼女はその瞬間を、確実につかまえて前へ進む。チャンスには臆せずに立ち向かい、夢想へ逃げずに全部を実現する。

彼女が欲求に従い、すべてをやり遂げていく姿を見ていると、思わず納得してしまった。しかしそれがことごとく、まわりの人間関係とかみ合わないから、事態はとんでもない方向へむかう。

まわりの人たちの行動は、ノーマルなのだと思う。しかし彼らの一種の「世渡り」が、エスターを中心に置くと、そらぞらしく見えてしまう。 彼女を教えて導く売れない名優も、エスターのようにガラス片をかみくだいてしまえば、もしやスターになれるかもしれず、なれないかもしれず…。

それにしても最後の舞台のシーン。あまりの過激さにもう目が釘付け。この異常事態に、舞台関係者が慣れているように感じられる点が恐怖。

最悪の状態で「できてしまった」というのは、優れた才能を生むのかもしれないが、幸せを運ぶとは限らない。

これだけ過激なのに、とんがった雰囲気はない。むしろ作り手の楽しさや軽やかささえ伝わってくる。

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