『銅金裕司展』
東京都新宿区早稲田町74 箕作ビル1階(当時)
現在大阪CASで、同時開催中
画廊の扉をあけると、縦線の長い鉄製の十字が、床に敷かれているのが目に入り、同時に、おだやかな音楽も、やや控えめに聞こえてきた。音のする方を探すと、そこには一台のMacが置かれている。
十字の鉄板の上に、ぽつりぽつりと土が盛られ、その上に植えられた植物や「その他のもの」。 画廊の方が誰もいないので、説明を聞く道は閉ざされてしまって、もう一度、その十字に注意を向け、音に耳を傾ける。鉄製の板が、金属らしからぬ暖かみをもっているのは、点在する土と植物のせいかもしれない。
しばらくたつと、壁際にあるテレビにようやく気づき、そこへ近づく。するとそのテレビの上には、一冊の黒いファイルが。それを手に取ってページをめくった。
そこには、この作品ができあがるまでの過程が、簡潔に記されていた。ようやく私は、十字の上に点在する土などが、近所のお絵描き教室に通う子供たちの手による「ガーデニング」だと知った。
ファイルの後ろの方にはさまれた子供たちの感想は、そのガーデニングが楽しかったことと、自分達がそれらにどんな気持ちをこめたのかを、鑑賞者である私に伝えてくれる。 例えば、最後に「楽しかった!」と大きく記した小林君は、怪獣しか入れない温泉を、土の上に設けたのだそうだ。
それにしても、子供たちのガーデニングは、土の量やその土が置かれる場所が、全体的に統一されていて、お絵描き教室に通っているからか、センスがとてもいい。 だから、少しななめに配置された十字の整った様を壊すことがない。
子供たちに、はじめなにか指示を与えたのか、それとも自由にやらせたら、結果的にそうなったのか、想像して考えこんでしまった。
また、後から、そのときの穏やかな音楽は、十字のアルミ板の下に設けられた特別な装置が、ガーデニングの植物の電位変化を読み取り、変換された音だと知ってびっくり。
あの画廊に入った瞬間に、自分が作品に影響を与えていたのかもしれないと考えると、不思議な気分になる。
それらの過程や情報を、知らなくても、十分おもしろ作品なのだが、知ればますますおもしろい。
ふっと、そういう情報や、作品が創られていった過程、そして鑑賞者自身を含めて、ひとつの作品なのかもしれないと考えると、いつもの美術鑑賞の仕方の土台がぐらついて、正直に言えば、まだ少し困惑したままでいる。